後藤健生の「蹴球放浪記」第144回「両替所が見つからなかったサンチャゴの空港」の巻(1)南米で襲いかかってきたアクシデントの画像
サンチャゴで観戦したチリ・リーグの入場券。CDUCはウニベルシダ・カトリカ 提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、ベテランの放浪家である。だが、物事には必ず最初がある。1978年のアルゼンチン・ワールドカップ。初めて渡った南米大陸では、さまざまな困難が待ち受けていた。

■思い出深い旅

 1978年にアルゼンチン・ワールドカップを見るために南米大陸を縦断した時の話は、この『蹴球放浪記』で何度も取り上げています。僕も、まだ旅慣れておらず、スペイン語もほとんど話せない状態で初めて南米大陸に足を踏み入れたので苦労の連続でしたが、また、それだけに思い出深い旅となりました。

 ロサンゼルス経由で空路ペルーに到着。インカ帝国の首都クスコでは石油値上げに端を発したゼネストに見舞われ、催涙弾の水平撃ちに遭遇しましたが、なんとかゼネスト破りのオンボロバスと行商に行くおばさんたちのトラックを乗り継いで隣国ボリビアに脱出しました。

 ボリビア最大の都市ラパスでは知り合いの日系人、グスタボ田中さんの家に滞在。現地の日系人や日本企業の駐在員、それに空気の薄い高地の望遠鏡で天体観測をしている日本人天文学者などと交流して一息ついた僕は、ラパスのエルアルト空港から次の訪問地チリの首都サンチャゴ・デ・チレに向かいました。

 ラパスを出発したのは5月27日の午前2時。ワールドカップ開幕まであと4日でした。

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