現地時間の12月11日22時2分、本サイト記者はアプリで呼んだUberに乗り込んだ。カタールから日本へと持ち帰る大きなリモワのスーツケースとペリカンのカメラバックを積むために、大きめの車を選択していた。スマホが画面に映し出したのは三菱の白のエクスパンダー。この車が、この取材で最後に乗るタクシーとなる。1か月にわたった現地取材が、ここで終わるのだ。
ワールドカップは、とても華やかな世界だった。スタジアムだけでなく、街中など見える場所すべてがこの4年に1度の祭典に染まっていた。サッカーの存在が感じられない場所は、仮にスーパーの中であろうとないのではと思ったほどだった。
そして世界中から訪れたサポーターが、歌い、踊り、ハイタッチを求めてくる。筆者が泊まったビラ(W杯公式宿泊施設)の部屋は、たとえ深夜であっても外から聞こえてくる彼らの声や音楽で支配されていた。取材するイベントの盛り上がりによって仕事に支障をきたすという想像をしない環境だった。
ハマド国際空港に向かうエクスパンダーの後部座席から見える景色は、すべてが見納めになる。少し感傷的な気持ちになっているとき、運転手が声を掛けてきた。筆者のことをフィリピン人と勘違いしたらしく、日本人であることを伝えると、笑顔で饒舌になった。
彼は、日本がとても好きなのだという。そして、「コングラチュレーション」と、現地で何度言われたか分からない祝福の言葉ももらった。日本代表が与えたインパクトの大きさを、取材の最後まで感じることなった。