■日本が学ぶべき「違い」

 だがそんなことよりも、何のために戦うのかという根本的なことが、日本とこの3位決定戦を戦った2か国で大きく違うのではないか(これは「違い」である)。森保一監督は「日本で応援してくれている人びとに喜びを届けたい」と口を開くたびに語ったが、日本の選手たちが心からそう思っていたのか、私は自信をもってそうだと言うことができない。

 「祖国」とか「同胞」といった抽象的な概念でなくても、両親や家族といった具体的な対象でもいい。日本の選手たちは、自分自身のためでなく、そうした他者のために自分の足が折れてもいいと思うような戦いをしただろうか。

 ポルトガルを下してアフリカ勢として初めて準決勝進出を決めた後、モロッコのソフィアン・ブファルが応援にきていた母親をピッチに呼び、肩を抱いて歓喜に沸くスタンドを見せながら歩いていた光景は、世界中の人びとの心を打った。

 クロアチアもモロッコも、百パーセント「他者」のために戦い抜いた。だから疲労困憊の状態なのに限界を超えて走り、戦い、最後まで勝利を追い求めた。試合が感動的だったのは当然だった。

 日本のサッカー選手は、まず何よりもこの面の「違い」を埋めなければならない。百パーセント他者のために戦う姿勢を、子どものときから植えつけなければならない。ワールドカップで勝つには、リオネル・メッシキリアン・ムバッペのようなひとりで勝負を決められる選手を生み出すか、クロアチアやモロッコのように百パーセント他者のために戦うチームをつくるか、どちらかしかない。

 天才は天から舞い降りてくるもので、計算で生まれるものではない。とすれば、やるべきことはひとつではないか。

(12)へ続く
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