■「大会史上最強」と呼ばれたチームで存在感を発揮

 日本代表における中村のメモリアルな試合として、2000年10月29日のサウジアラビア戦も外すことはできないだろう。レバノンを舞台としたアジアカップ決勝である。フィリップ・トルシエ率いる日本代表は、2度目の優勝を成し遂げた。

 この大会で中村に与えられたタスクは、3-5-2の左ウイングバックだった。ヨーロッパのシーズンと重なっていたために中田英寿は出場していないが、トップ下では森島寛晃が躍動していた。

 大会序盤は「このポジションだとアシストがなかなかできない。打開のパスが多くなる」と話していた中村だが、ボランチの名波とポジションチェンジをすることで流動的な動きが可能となっていく。ふたりのレフティーのコンビネーションの高まりとともに、日本の攻撃はレベルを一気に上げていった。

 完全アウェイの雰囲気に包まれたサウジアラビアとの決勝戦では、29分の決勝点をアシストした。左サイドからの直接FKをゴール右へ供給し、望月重良の右足ボレーを導いた。

 中東で行なわれたアジアカップで、中東以外の国が優勝するのは2000年の日本が初めてだった。アジアカップ史上最強と言われたチームでセットプレーのキッカーを担当し、多くの得点を生み出したこの大会は、中村にとっても忘れられないものに違いない。

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