■チェルシーの上を行くクラブ

 攻撃陣では、この年にフランスのマルセイユから移ってきたディディエ-ル・ドログバ(コートジボワール代表、当時26歳)が期待されたが、先発18試合で10ゴールにとどまった。代わって「アブラモビッチ以前」から活躍してきたFWエイドゥル・グジョンセン(アイスランド代表、当時26歳)とイングランド代表MFフランク・ランパード(当時26歳)が活躍、それぞれ12ゴールと13ゴールを挙げ、ランパードはこのシーズンの「フットボーラー・オブザイヤー」を受賞した。

 チェルシーのシーズン総得点は72(1試合平均1.895点)。チェルシーに勝ち点12もの差をつけられて2位となったアーセナルの87得点(2.289点)に遠く及ばなかった。モウリーニョが鍛えた守備力で優勝を勝ち取ったと言える。

 だが上には上がある。イタリアのセリエA、1969/70シーズンのカリャリである。「プロビンチア(地方クラブ)」中の「プロビンチア」。カリャリ市は「州都」とはいえ、人口わずか15万、それもサルデーニャ島のチームである。

 当然のようにセリエBとセリエCを行き来するクラブだったが、1963年にFWルイジ・リーバを獲得して初めてセリエAに昇格。リーバの得点力に引きつけられて次第に好選手が集まり、昇格6シーズン目のこの年についにセリエA優勝を果たすのである。そのシーズンが、30試合で失点わずか11(1試合平均0.367点)という記録的なものだったのだ。

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