■日本にスーパースターは不要か?
残念ながら、日本のサッカーはまだこうしたクラスのスーパースターを生み出していない。私自身は世界最高のレベルに最も近づいたのは1960年代の釜本邦茂だと考えているが、残念なことに彼は世界のトップリーグでその実力を試す機会には恵まれなかった。その後、中田英寿、中村俊輔、本田圭佑、香川真司らがトップクラスのリーグで「スター」となったが、「スーパースター」とまではいかなかった。
日本のサッカーの最大の長所は「集団性」であり、全員がそれぞれの長所を生かしつつ、あくまでチームで戦うことなのだが、それはけっして「スーパースターは不要」という意味ではないだろう。世界のトップに近づこうというのなら、これまでの日本選手にはない飛び抜けた存在が不可欠なのではないか。
ハーランドはどう生まれたのか―。彼の家系、両親の考え方、食事、育った環境、どういう時期にどのような教育や指導が行われ、どんな刺激を与えられたのか。世界の頂点で戦い続けるメンタリティーはどう養われ、彼のパーソナリティーがどうそれに寄与しているのか。ノルウェーのクラブからオーストリアへ、ドイツへ、そしてイングランドへとステップアップする過程で、どのようなことを基準にリーグやクラブが選ばれ、どのようなタイミングが適切と考えられたのか。
もちろん、同じことをして同じ選手が得られるというものではない。しかし「個の育成」と言いつつも、日本のサッカー全体をレベルアップすることにフォーカスしがちなサッカー界にあって、「世界を圧倒する個」を目指す道があってもいいのではないか。人口550万の国から現れた新時代のスーパースターを見て、日本の指導理念そのものが問われているように思うのである。