■強さを「暴露」した2006年のドイツ
1大会で2回PK戦を行ったチームは6つ(1990年大会のアルゼンチン、2002年大会のスペイン、2014年大会のコスタリカとオランダ、そして2018年大会のロシアとクロアチア)。このなかで「連勝」したのは、1990年イタリア大会のアルゼンチンと2018年大会のクロアチアだけである。アルゼンチンは10大会で5回のPK戦という最多記録をもっている。「最多勝利」はアルゼンチンとドイツ(西ドイツも含む)の4勝。すなわち、ドイツは「4戦全勝」ということになる。
ドイツの勝率にはきちんとした理由がある。それが発覚したのは、地元開催の2006年大会、準々決勝でアルゼンチンと戦ったPK戦である。PK戦にはいる前に、GKコーチのアンドレアス・ケプケがドイツGKイェンス・レーマンに1枚のメモを渡した。レーマンは周囲の喧噪から離れてそれを必死の形相で見ていたが、やがてそれを右足のストッキングに挟んだ。
そしてPK戦。ドイツが先攻し、順調に決めるなか、レーマンはアルゼンチンの2人目ロベルト・アジャラと4人目エステバン・カンビアッソのキックを見事ストップする。そして5人目を待つまでもなく、PK戦をあっさりと終わらせたのだ。これが、ワールドカップのPK戦でアルゼンチンが敗れた唯一の試合である。
アルゼンチンのキッカーが出てくるたびに、レーマンはストッキングからメモを取り出し、キッカーに背を向けて隠すように見た。1人目のフリオ・クルスは、ケプケのメモどおり、長い助走から右にけってきた。レーマンは反応よく跳んだが、わずかに及ばなかった。これを見てアルゼンチン選手が神経質になった。
アジャラについては、メモには「待ち長く、長い助走、右」とあった。レーマンはぎりぎりまで待ち、ボールは左にきたが、コースが甘く、倒れ込んで簡単に押さえた。
4人目のカンビアッソがけるときには、レーマンはもう隠そうともしなかった。メモをゆっくりと開き、カンビアッソの顔を見て、もういちど開いて見た。カンビアッソの左足から放たれたシュートは左に飛んだ。レーマンは正確に反応し、ボールをはじき出してドイツを準決勝に進めた。
このメモは、翌2007年の7月にミュンヘンで開催された「国際ゴールキーパーコングレス」という会合で初めて公にされた。小さなメモだった。チームが前日宿泊したベルリン西郊のホテルに備え付けのメモ用紙に鉛筆で走り書きしたものだった。メモには8人の名しかなく、そのうち実際にけったのは3人だけだった。
カンビアッソの名は、そのメモにはなかった。メモの内容よりも、メモの存在そのものがアルゼンチンの選手たちに影響を与えたのだ。このコングレス後、ケプケとレーマンはメモをオークションに出し、100万ユーロ(当時のレートで約1億3500万円)で落札されると、恵まれない子どもたちのための基金にそっくり寄付した。