■日本初採用の舞台は天皇杯

 日本の主要大会で初めてPK戦が使われたのは、1972(昭和47)年度の第52回天皇杯全日本選手権である。1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が誕生して以来、天皇杯はJSLの上位4チームと大学のベスト4、計8チームで年末から年初にかけて短期間で行われる形がとられていた。そのころには延長戦まで戦って決着がつかなければ抽選で勝ち上がりチームが決められていた。

 しかし「全日本選手権」と銘打つからには、全登録チームに門戸をひらくべきと、この第52回大会から地域大会を勝ち抜いた16チームにJSLの8チームを加え、全5ラウンドの大会とした。そして同時に、PK戦も導入されたのである。

 1回戦で早稲田大学対日本軽金属(東海代表)が2-2から延長になったが、日経金が決勝点を奪って決着がついた。初のPK戦は、12月24日、広島県営競技場で行われた準々決勝の東洋工業対新日鉄、JSL同士の対戦。2-2から延長でも決着がつかず、史上初のPK戦となった。そして先攻の東洋が5人目まで全員決める、新日鉄の5人目はエースのFW日高憲敬である。力いっぱい左隅を狙ってけったが、東洋のGK船本幸路が見事ストップ、5-4で東洋が決勝に進んだ。

 試合は終始新日鉄のペースで、120分間で26本ものシュートを放って13本の東洋を圧倒していた。当時日本代表でもあった日高はひとりで5本ものシュートを放ち、新日鉄の攻撃を牽引した。試合で大活躍した選手がPK戦で失敗するという不思議な巡り合わせは、このときにすでに始まっていたようだ。

(3)へ続く
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