■考え抜いて勝つPK戦
では日本ではいつからPK戦が行われるようになったのか。いろいろ調べたが、どうもはっきりしない。しかしIFABで正式に認可される前から「PK戦」というシステムが知られていたのは間違いない。なぜなら、1960年代の後半、私の学校のクラス対抗戦では当たり前のようにPK戦が行われていたからだ。
私の学校では、期末試験が終わると、教師が試験の採点をしている間、3日間にわたってさまざまな競技のクラス対抗戦が行われていた。高校2年の夏、すでに「サッカー狂」になっていた私は、試験前に発表されていたサッカーのクラス対抗戦のトーナメント表を見て、試験勉強などそっちのけでどうしたらPKを決められるかばかり考えていた。なにしろ、1回戦で当たる1学年上のクラスには、サッカー部のキャプテンを務めた非常に優秀なGKがいたからだ。
試合時間は前後半合わせて30分か40分程度だったと思う。私のクラスにいたサッカー部員はわずか3人で、あとはバスケット部、卓球部、バドミントン部などのサッカー好きの連中ばかりだった。サッカー部員のひとりは私の学年のチームの守備の中心選手だったから、守りきる自信はあった。しかし得点を取るのは至難の業だろう。とすれば、PK戦決着となるはずだ。だが自信の塊のような「元キャプテンGK」をどうしたら破れるか。ペナルティースポットにボールを置いて先輩GKを見たら、あの鷹のような目でにらみつけられて、私はすくみ上がってしまうに違いない。
そこで私が考えたのは、相手GKと私の力関係を利用した巧妙な罠だった。私の番になったら、自信なさそうな顔をして(本当に自信がないのだから、この表情には自信があった)ボールを置く。置いて数歩下がったら、思い詰めたようにゴールの右隅だけを見つめる。先輩GKは、あからさまに右ばかり見る私を見て、左にけるのではないかと読むだろう。
そして助走に移る寸前に、私は相手に覚られるかどうかという程度に目と顔を動かし、ゴールの左隅を見る。この瞬間に、GKの読みは確信に変わる。そしてキック。先輩GKは自信満々左に跳ぶ。私は、強いキックではなくても、インサイドキックで正確にゴール右に送り込みさえすればいい。そして私のPKは、まさにそのとおりに決まった…。