大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第98回「PK戦は運次第」(2)50年前の「日本初」から始まっていた「ジンクス」の画像
西川は駆け引きと重圧に勝って、浦和をACL決勝へ導いた 撮影:原悦生(SONYα1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、勝敗は決めるが、試合の一部ではない?

■イングランドの「1人目」はジョージ・ベスト

 イングランドのプロの大会で最初にPK戦が使われたのは、1970年8月5日、「ワトニーカップ(1部から4部まで各部から2クラブが招待されて戦ったプレシーズン大会)」の準決勝だった。2部のハル・シティと1部のマンチェスター・ユナイテッドが対戦、延長まで戦って1-1の引き分けに終わったとき、わずか39日前に正式認可されたPK戦が使われたのである。

 記念すべき最初のキッカーはマンチェスター・ユナイテッドのジョージ・ベストだった。低いシュートをゴール右に決めた。そして最初の失敗は、デニス・ローだった。それまでにけった全員が成功して3-3で迎えたマンチェスター・ユナイテッドの4番手。ハルのGKイアン・マッケンジーは、初めてPKをストップしたGKとなった。そして同時に、彼はGKとして最初のPKをけることになり、力いっぱいのキックは派手にバーをかすって上にはね、マンチェスター・ユナイテッドに決勝進出を許すことになった。

 これはもちろんイングランドの話である。欧州の他の国では、1950年代からPK戦が行われていたらしい。ユーゴスラビア・カップでは1952年から、イタリア・カップでは1958年から翌年にかけてPK戦が使われた。そしていくつかの国際親善大会などでも、再試合を行わず、PK戦で決着がつけられていた。

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