■ドイツW杯「ラストマッチ」
私の初めてのワールドカップは6月22日、フランクフルトでの「ザイール×ブラジル」で終わるはずだった。しかしカメラマンのMさんが23日のシュツットガルトのチケットを入手してくれ、急きょ行くことにした。帰国便は6月25日である。22日の夜行でシュツットガルトに行き、試合を見て、翌24日にフランクフルトに戻ってくればいい。
シュツットガルトの「ネッカースタジアム」も、当時は陸上競技型だった。ちなみに、この1974年大会で使用された9スタジアムは、ドルトムントを除くとすべてが陸上競技場型だった。切符を片手にたどり着いた席は、なんとゴール裏。しかも前から10列目ぐらいで、イタリア人たちは攻撃に移るたびに立ち上がってしまうから、ほとんどピッチが見えない席だった。それでも試合が進むうちに慣れ、ポーランドの攻撃の素晴らしいスピードと、サイドバックからサイドバックに通すライナーのサイドチェンジパスの正確さは堪能することができた。
優勝候補の一角とされていたイタリアはこの試合を1-2で落とし、同じ第4組のもうひとつの試合でアルゼンチンがハイチを4-1で下したため、1勝1分け1敗、勝ち点3でアルゼンチンと並んだが、得失点差でわずかに劣って3位となり、敗退が決まった。イタリアの試合が終わってからアルゼンチンの試合結果がネッカースタジアムの電光掲示板に示されるまで数分間。「4-1」の文字が出ると、イタリア人たちはいっせいに首を垂れ、無言でスタジアムを立ち去った。
私は暴動でも起こるのではないかと心配した。しかしアルコールなどはいっていないイタリア人たちはまったくおとなしく、ただ車を連ねてアルプス超えの道をイタリア目指して帰っていった。