■地獄のような日々の甘美な一瞬

 このワールドカップで私が期待していたひとりに、西ドイツのギュンター・ネッツァーがいた。まるでアメリカンフットボールのクォーターバックのようなゲームメーカーで、超高速のライナーのスルーパスでFW陣を走らせる、誰にも真似のできないプレーを得意としていた。しかしコンディション不良のため最初の2試合では起用されず、3戦目、東ドイツとの最初で最後の東西ドイツ対決の後半に途中出場した。

 この試合を、私は、シュツットガルトへの夜行に乗る前、フランクフルトのホテルのテレビで観戦した。ネッツァーが出てくるのを見て、私は急に悲しくなった。「ワールドカップが本当に始まるのはこれからなんだな」と思ったからだ。それなのに、私は、翌々日には帰国しなければならない。結局、ネッツァーにはその後も活躍の機会はなかったのだけれど…。

 帰国のフランクフルト空港では、荷物をめぐって多少のトラブルがあった。海外旅行にはこんなトラブルがつきものであり、卑屈にならず、堂々と落ち着いて振る舞わなければならないことを、空港まで見送りにきてくれたTカメラマンから学んだ。彼はもう数年間も、欧州各地を飛び回って取材しているベテランだった。

 帰国すると、地獄のような日々が待っていた。なにしろ、私と、いっしょに帰国した編集長を、雑誌の100ページ以上の入稿作業が待っていたのだ。私は横須賀市の自宅に帰ることを許されず、毎日明け方まで仕事をし、それから近くのビジネスホテルで数時間仮眠し、朝食をとったらまた編集部に戻って明け方まで仕事という生活を、7日間も続けなければならなかった。

 当時の写真は35ミリのフィルムである。現像されたカラーフィルムを見るには、ルーペを使う。ひとつの机の盤面をすべてガラス張りにした「ライトテーブル」の上にフィルムを乗せ、1コマ1コマをルーペでのぞき、雑誌で使用する写真を選ぶ。ときおり猛烈な睡魔に襲われると、私は、ルーペをのぞき込むかっこうのまま、一瞬目をつむった。せいぜい数秒間だっただろう。しかしこの上なく甘美な時間だった。

 そしてその数秒間のうちに、私は夢を見た。その夢のなかでは、クライフがピカッと光るターンを見せ、そして私は、スウェーデンの黄色いユニホームの選手を抜き去ってゴールにシュートを突き刺していた。

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