■代表チームでの新たな役割

 クラブで公式戦トータル581試合492ゴール(ハンブルガーSVでは580試合490ゴールだったが、引退後の1978年4月、41歳のときにコーク・セルティックでアイルランド・リーグのシャムロック・ローバーズ戦にゲスト出場し、6-2の勝利で2得点を記録している。当時のアイルランド・リーグでは、こうしたゲスト出場がよく行われていたという)、西ドイツ代表で43ゴール。「無数」と言っていいほどのゴールを挙げたゼーラーだが、そのナンバーワンは、何と言っても1970年ワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝、イングランド戦で見せた「奇跡のバックヘッド」だろう。

 ブンデスリーガでは、1960年代半ばにバイエルン・ミュンヘンが急速に力をつけ、その若い力がそのまま西ドイツ代表の底上げをした。フランツ・ベッケンバウアーが1966年のワールドカップで西ドイツの中盤に君臨するようになり、ブンデスリーガではゲルト・ミュラーが猛烈な勢いでゴールを量産し始めていた。ブンデスリーガの初年度(1963/64シーズン)には30ゴールを記録して当然のように得点王となったゼーラーだが、1968年後半には、得点能力としてはミュラーのほうが上であることを認め、代表からの引退を決意した。

 だが西ドイツ代表監督ヘルムート・シェーンは断固認めなかった。「新しい役割がある」というシェーンの言葉に、ゼーラーは再び闘志を燃やし、最前線の中央でのゲルト・ミュラーとのコンビネーションという試みに挑戦した。そして迎えたのが、1970年のワールドカップだった。シェーンは、いまでいう「トップ下」のようなポジションでゼーラーを起用したのだ。

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