大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第94回「『我らがウーベ』と呼ばれたドイツの英雄」(3)プレーと同じくらいに愛された人間性の画像
代表チームの名誉キャプテンとなったゼーラー 代表撮影/ロイター/アフロ
 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回はひとりの「小太りのおじさん」の話。

■日本にやってきたゼーラー

 さて、西ドイツ代表から退いて1年半、サッカーからの引退を半年後に控えたゼーラーは、1972年1月、ハンブルガーSVとともに日本にやってきた。日本代表との2試合は、最初が1月9日、東京・国立競技場、そして第2戦が横浜の三ツ沢球技場。初戦は4万人がはいり、3-2でハンブルガーSVが勝利したが、第2戦はとんでもない試合となった。冬の冷たい雨に見舞われ、グラウンドも田んぼのようになってしまったのだ。

 「こんな雨のなかではプレーしたくない」とばかりに、日本の主力選手は何人もこの試合を欠場した(ウォーミングアップもしなかった)。風はそう強くなかったものの終始強い雨が降る観客席では、誰もがずぶぬれになりながら傘を手放さなかったから、そう少なくは見えなかったが、発表された観客はわずか2000人だった。だがそのなかで、ゼーラーはひるみもしなかった。第1戦と同様、90分間ピッチに立ち続け、チームの先頭に立って戦い続けたのだ。

 そして後半34分には右からのクロスを受けてヘディングで勝ち越し点を叩き込む。マーカーの視野から逃れるように左に動き、クロスが入れられる瞬間に右前にはいってきた駆け引きと走りのタイミング、ボールの落下点の見極め、そしてせりにくる相手を空中で制する体の使い方と、まさにヘディングシュートのお手本のようなゴールだった。

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