■西ドイツ代表での活躍

 西ドイツ代表入りは当然だった。伝説的な代表監督のゼップ・ヘルベルガーが彼を初めて招集したのは、1954年10月16日のフランス戦だった。スイスで行われたワールドカップで初優勝を飾った直後の試合である。ゼーラーはオーベルリーガ・ノルトで得点を量産し始めていた。17歳の小柄なストライカーの才能に疑いはなかった。その後もヘルベルガーはゼーラーを呼び続けたが、西ドイツ代表で完全にレギュラーとなったのは1958年のワールドカップ・スウェーデン大会のときだった。

 21歳のゼーラーは、ヘルムート・ラーン(28歳)、ハンス・シェーファー(38歳)といった「1954年組」のベテランたちとコンビを組み、準決勝のスウェーデン戦まで5試合に出場。この試合で負傷してフランスとの3位決定戦は逃したが、アルゼンチン戦と北アイルランド戦で1点ずつ記録し、攻撃の中心として不可欠な存在となった。

 この大会をスタートに、ゼーラーは4回のワールドカップに出場し、優勝こそなかったが、準優勝1回、3位1回、4位1回という安定した好成績の牽引車となり、世界的なスターとなった。4大会で西ドイツは通算22戦したが、ゼーラーはそのうちの21試合、すなわち負傷欠場した1958年大会の3位決定戦以外、すべての試合に出場している。

 西ドイツのキャプテンとなったのは1961年10月のデンマーク戦だった。まだ24歳のときである。デュッセルドルフのスタジアムで、ゼーラーは初めてアームバンドを巻き、ハットトリックを達成してチームを5-1の勝利に導いた。以後1970年9月に代表を引退するまで、彼の腕には常にアームバンドがあった。

 ウーベ・ゼーラーは西ドイツ代表のシンボルだった。当時の西ドイツのファンは「ドイッチュラント!」と母国の名前を叫ばず、代わりに「ウーベ、ウーベ!」と叫んでチームを応援した。この応援は、ゼーラーが引退し、その姿がチームに見られなくなった後にも続けられた。これもまた、岡野俊一郎さんの解説で聞いた話である。

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