大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第94回「『我らがウーベ』と呼ばれたドイツの英雄」(2)インテルからの破格の申し出を断った裏話の画像
ミュラー(左)と喜び合うゼーラー 写真:アフロ
 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回はひとりの「小太りのおじさん」の話。

■ドイツ王者へと導いたゴール

 西ドイツで完全プロの全国リーグ(ブンデスリーガ)がスタートするのは1963年のことである。それまでは地域ごとに分かれた「オーベルリーガ」を戦い、その王者が集まった「ドイツ選手権」でナショナル・チャンピオンを決めるという形だった。

 ハンブルガーSVは1947年にスタートした「オーベルリーガ・ノルト」で圧倒的に強く、1963年までの16シーズンで実に15回もチャンピオンとなった。ドイツ選手権でも、3回決勝に進出、1957年と1958年は敗れたが、1960年には1FCケルンを3-2で下して、第二次世界大戦前の1923年、1928年に次ぐ3回目の優勝を飾っている。

 この試合、勝利を決めたのは、やはりウーベ・ゼーラーだった。0-0で迎えた後半8分、ハンブルガーSVは先制点を許したが、その直後のキックオフからあっという間にゼーラーが同点とした。ハンブルガーSVは30分に勝ち越し。41分に同点にされると、その2分後にまたもゼーラーが決めてケルンを突き放した。ゼーラーはこの大会の7試合(グループリーグ6試合と決勝戦1試合)で実に13ゴールを決めた。

 ウーベ・ゼーラーは間違いなく当時ドイツ最高のサッカー選手だった。ブンデスリーガに切り替わる前のオーベルリーガ・ノルトでの9シーズン、彼は237試合に出場し、実に267ゴールを記録している。そして9シーズンで6回も得点王に輝いているのである。

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