■2002年に向けて

 1994年のアメリカ大会のときは、最初から“トニョーニ作戦”を発動しました。「また難しそうだから、直接、僕の分の申請書をもらえませんか」というFAXを事前に送っておいたのです。すると、トニョーニからはまたも「オッケー~っ」という返事が来て、今回は僕の自宅宛で申請書を送ってくれたのです。

 この大会からは、日本に対する割り当ても少し増えました。Jリーグが発足し、2002年大会開催に立候補したことで、FIFAも日本を重視し始めたのでしょう。この時もフリーランス向けのくじ引きがJFAで行われ、僕もくじ引きで当選して申請書を受け取ったのですが、トニョーニから事前に申請書をもらっていたので、わざわざJFAまで申請書を返しに行ったことを記憶しています。

 なお、次の大会からは広報部長がキース・クーパー氏に交代。「トニョーニ作戦」はもう使えなくなりました。

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