ワールドカップは選手にとって、大きな目標を懸けて戦う舞台である。蹴球放浪家・後藤健生にとっても、決して負けられない大会だ。ワールドカップに出られるかどうか、ジャーナリストたちも戦いを繰り広げている。
■Jリーグ誕生の余波
というわけで、メキシコ大会では無事に記者席に潜り込んで(?)あのディエゴ・マラドーナの「神の手」も「5人抜き」もアステカ・スタジアムの最高の位置から見ることができました(周囲にはアルゼンチン人記者が多く、「神の手」の時は彼らがみんな「ありゃ、ハンドだよ」と言っていました)。
ところが、1980年代の末になるとプロ・リーグの創設が決まり、日本でもサッカー人気が高まってきました。そのため、1990年のイタリア・ワールドカップの時には取材希望の記者が増えてしまったのです。
フリーランス記者に割り当てられたのはたったの「2枠」。そして、岸記念体育会館の地下のラウンジに希望者(代理を含む)が集められて、そこで“あみだくじ”によって割り当てを決めたのです。その結果、僕は補欠の8番でした。
「FIFAから追加があれば補欠に回す」というのですが、割り当てが「2」なのに補欠の8番というのでは絶対に無理に決まっています。