■アストンビラの躍進

 彼は禁酒主義者であり、熱心なキリスト教徒であり、さらに自由党の支持者であり、正直さと誠実さでバーミンガムでも広く知られるようになる。本業のかたわら、さまざまな社会活動をしていたが、最大の楽しみはスポーツだったようだ。あるとき、彼は英国に野球を普及させるための活動にも関与した。1874年に設立されたアストンビラが彼に接触するのは、創立から3年目、マグレガーがバーミンガムで店を開いて7年目、1877年のことだった。

 チームは彼の店のすぐそばのアストンパークでプレーしており、創立から間もなかったが、非常に熱心に活動していた。マグレガーはアンパイア(両チームから出す審判員。当時は2人のアンパイアが試合をコントロールし、2人の意見が食い違ったときだけピッチにいる「レフェリー」に裁定を委ねていた)としてアストンビラに協力したこともあった。

 スコットランド出身選手が何人もいたこと、クラブがキリスト教会(マグレガーの教会とは別だったが)の信者によってつくられたこともあって、「運営にたずさわってほしい」というアストンビラからの要望に彼は快く応えた。当時クラブは財政難の状況にあったが、マグレガーは手腕を発揮してまたたく間に危機から救い、1880年にはクラブの会長(運営責任者)に推薦された。さらに翌年には会長の上に立つ理事会の一員となり、さらなる発展をもたらした。そして1887年には、ついにFAカップ優勝という最高の栄誉を手に入れるのである。

(3)へ続く
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