■危機に立ち上がったスコットランド人
この状況をなんとかしなければならないと立ち上がったのが、アストンビラの理事のひとりだったウイリアム・マグレガー(当時41歳)である。彼こそ、今日のプレミアリーグにつながる世界最初のサッカーリーグ「イングランド・リーグ」の生みの親であり、その後の世界のサッカーの発展に巨大な功績を残した人物だった。
その名(McGregor)でわかるように、マグレガーはスコットランド出身である。1846年4月にブラコという寒村で生まれた。地元で職人同士の試合を見てサッカーファンになったが、熱心にプレーに取り組んだわけではなかった。彼は生まれ故郷の中心都市であるパースに出て服地商としての訓練を積んだ後、1870年、24歳のときにスコットランドを離れ、イングランドのバーミンガムで服地商を営むようになる。そしてユーモアがあるうえに信頼に値する人物であることが広く知られるようになり、商売を大きく広げることに成功する。
まったく偶然なのだが、マグレガーが店を開いたのは、当時バーミンガム市の北郊に当たるアストンという地区で、そこにはやがてアストンビラというクラブが活動を始めることになる。バーギンガムにきてすぐ、マグレガーは同じスコットランド出身の男が興したサッカークラブを知り、土曜日には店を早じまいにして応援にかけつけるようになる。自分の店でサッカーウェアを売るようになり、この店がサッカーファンの待ち合わせ場所になるのに、そう時間は要さなかった。