■開始30秒で試合終了
GOサインを出す前に、FIFAはサンチャゴに視察団を送り、国立競技場を検査した。しかし当時まだ7000人もの拘留者がいたにもかかわらず、彼らは検査が立ち入らない室内に隠され、視察団は「試合開催可能」の判断を下した。11月21日の試合を前に、拘留されていた人びとはアタカマ砂漠の劣悪な環境下の拘置所に移された。
結局、ソ連は棄権を決める。ソ連の決定を支持したのは、ソ連の影響下にある東欧の国々だけだった。東ドイツは、ルーマニア、フィンランド、アルバニアと組んだ欧州予選の第4組を5勝1敗で突破し、ワールドカップ初出場を決めていたが、ワールドカップのボイコットさえにおわせてFIFAに中立地での試合をさせようとした。
11月21日の国立競技場はまさに「茶番」だった。試合が行われないことは誰もが知っていたが、国立競技場には1万5000人ものファンがかけつけた。オーストリアのエーリッヒ・リネマイヤー主審がホイッスルを吹くと、チリがキックオフをし、誰もいない相手陣を進んで、最後はキャプテンのフランシスコ・バルデスがゴールに叩き込んで試合終了の笛が吹かれた。わずか30秒の出来事で、あとは2大会ぶり5回目のワールドカップ出場を祝うお祭り騒ぎとなった。