大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第91回「ワールドカップ予選大陸間プレーオフの長い物語」(3)政治的駆け引きの中で起きた「30秒で試合終了」の茶番の画像
チリ代表も、すんなりW杯に出場してきたわけではない 写真:AP/アフロ

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。サッカージャーナリスト・大住良之が今回つづるのは、「最後の一座へ、地球を半周して」。

■消えたプレーオフ

 さて、大陸間プレーオフが今回を除いてホームアンドアウェーの2戦制なら、総試合数は当然偶数になるはずだ。しかし今回の2試合を加えて実際に行われた試合数は35。奇数である。1974年大会の大陸間プレーオフが欧州対南米で争われたとき、1試合しか行われなかったからだ。

 1974年大会の欧州予選エントリーは33。欧州に与えられた出場枠は「9.5」で、「3.5枠」の南米と大陸間プレーオフを行うことが決まっていた。欧州サッカー連盟(UEFA)は33チームを9組(4チーム×6組、3チーム×3組)に分け、乱暴な方法だが、3チームの組のひとつ、第9組勝者だけは「自動出場」とせず、最初から「南米とのプレーオフ出場」と決めた。抽選でその第9組にはいったのが、ソ連、アイルランド、フランスの3か国だった。ソ連はフランスとのアウェーの初戦を0-1で失ったが、最終戦でフランスを2-0で下し、首位でグループを終えた。

 一方、南米の予選出場国は8。10の南米サッカー連盟加盟国のうちベネズエラが棄権し、ブラジルは前回優勝国として予選を免除されていた。南米サッカー連盟(CONMEBOL)はUEFAと同じようなことをした。3チームのグループを2つつくり、残りの2チームを「第3組」として、勝者は欧州とのプレーオフをすることにしたのだ。第3組はペルーとチリ。両者はともにホームで2-0の勝利をつかみ、1973年8月5日にウルグアイのモンテビデオで決定戦を戦い、チリが2-1で勝った。

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