■国家間の駆け引き

 ソ連とチリの大陸間プレーオフは、9月26日にモスクワで、そして11月21日にチリのサンチャゴで行われることになった。だが対戦を前に、両国の外交関係は完全にストップしていた。

 チリでは1970年に誕生したサルバドール・アジェンデ大統領の社会主義政権がさまざまな改革を進めていたが、1973年9月11日、アメリカ政府に後押しされた軍部がクーデターを起こし、アジェンデ大統領を死に追いやってアウグスト・ピノチェト将軍を長とする軍事政権ができた。当然ながら、ソ連はこの新政権を認めなかった。

 チリの軍事政権は敵対する国(ソ連)で自国のチームが試合をすることに前向きではなかったが、新政権の下で国民が正常に活動していることを示すために遠征を許可した。ただし、選手団の誰も、絶対に政治的な発言をしてはならないと条件をつけた。とくに警戒されたひとりに、エースのFWカルロス・カセリ-がいた。彼は日ごろから社会主義的な発言を繰り返していたからだ。

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