後藤健生の「蹴球放浪記」第114回「エウゼビオの故郷は長閑な街だった」の巻(2)かつて内戦が続いた首都の夜を行くの画像
アフリカ諸国ではビザや入国スタンプでカラフルなシールを張ってくれる。これは、ジンバブエのビザ 提供/後藤健生

 サッカーの取材は、試合会場だけがすべてではない。スタジアム周辺、また近くの国にも、材料は転がっているのだ。サッカージャーナリスト・後藤健生は2010年、ワールドカップ取材のために南アフリカを訪れた。だが、「取材対象」は他にもあった。

■ガイドブックは信用できるか

 ポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールはけっして植民地を手放そうとはしませんでしたが、植民地経営を続けるためのコストがかかりすぎて国全体が経済的に困窮してしまったため、1974年に革命が起こって各植民地は独立することになりました。

 モザンビークでは、独立闘争を続けてきた解放戦線(FRELIMO)による社会主義政権が誕生します。しかし、それに反対する南アフリカやローデシア(現、ジンバブエ)といった周辺国の白人政権が反政府勢力を支援したため、長く内戦が続いていたのです。内戦終結は1990年代の初めでした。

 しかし、ガイドブックを見ると、「現在のモザンビークは治安が良い」と書いてあります。そこで、とにかく行ってみることにしたのです。

 マプト(かつてのロウレンソマルケス)の空港から、古いバスに揺られて30分ほど。「ペスタナ・ロヴーナ」という海に面した旧市街のホテルに到着しました。マプトは人口100万人の大都市です。

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