■初めての中東遠征
森保一監督自身もこのスタジアムで戦ったことがあります。そう、1993年10月のアメリカ・ワールドカップ・アジア最終予選の時です。
「ドーハの悲劇」で知られるイラク戦は小さなアルアリ・スタジアムでしたが、これは3試合を同時刻に開催するためであって、その他の試合はすべてハリファ国際スタジアムで行われました。
僕にとっても、カタールを訪れるのはこの時が初めてのことでした。
いや、中東を訪れるのも同年春の一次予選でアラブ首長国連邦(UAE)が初めて。馴染みのないイスラム教国ということで、選手たちも、サポーターたちもかなり緊張したものです。日本サッカー協会からは「お祈りの時間には応援を控えるように」とのお達しがありましたが、現地人もお祈りの時間になっても普通に応援していたので、そのうち日本人もお祈りを呼びかける「アザーン」が聞こえてきてもまったく気にしなくなりました。
今は、原油や天然ガスといった天然資源が生み出す豊富な資金を使って経済発展を遂げ、ワールドカップ本大会を開催するまでになったカタールですが、30年近く前はまだまだ発展途上にありました。