■両国間の緊張を高めたプレーオフ

 当時は「アウェーゴールルール」などない。プレーオフは6月27日にメキシコシティのアステカスタジアムで行われた。10万人収容の巨大スタジアムだが、2万人に制限し、観客席を完全に分離、緩衝地帯には催涙ガス銃を手にした警察官が配備された。エルサルバドルが先制、ホンジュラスがすぐに追いついたがエルサルバドルが再び1点をリードして後半へ。その開始早々にホンジュラスが同点とし、試合は延長へ。決着がついたのは延長後半6分。後にエルサルバドル代表監督となって1982年ワールドカップに出場を果たすマウリシオ(ピポ)・ロドリゲスの左足シュートがホンジュラスGKの股下を抜いて3-2でエルサルバドルが勝利を収めた。

 この試合後、両国間の緊張は高まり、17日後の7月14日、エルサルバドル空軍の攻撃機がホンジュラスの首都テグシガルパの国際空港を爆撃。翌日にはホンジュラス空軍の攻撃機がエルサルバドルの首都サンサルバドルの国際空港を爆撃、ついに「熱い戦争」が始まったのである。

 戦争は「米州機構(OAS)」の仲裁で7月18日には終結、「100時間戦争」とも呼ばれるが、「サッカー戦争」の名がひとり歩きし、「サッカーに熱くなり過ぎて、戦争にまで突入した例がある」などと引き合いに出されることが多い。

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