大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第83回「サッカー監督たちの見果てぬ夢」(3) 読売クラブに持ち込まれていた「チョウ・キジェ監督時代の湘南ベルマーレ」を思わせるドイツ版「全員攻撃・全員守備」の画像
日本にもトータルフットボールの波は押し寄せた 撮影:原悦生(SONY α9Ⅱ使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアックコラム」。今回は、「トータルフットボールの父」について。

■新概念を持ち込んだレスター・シティの指揮官

 「頻繁なポジションチェンジ」という面では、スコットランド出身で1960年代にイングランドのレスター・シティを率いたマット・ギリーズの名を挙げる人もいる。

 当時のサッカーは「WMシステム」が基本で、選手たちは自分のポジションに応じた背番号を与えられ、いわばそのポジションのスペシャリティーだけを求められていた。たとえば7番なら、右のウイングでとして右タッチライン際でボールを受けるとドリブルで前に進み、センターフォワードの頭に合わせてクロスボールを入れるのがもっぱらな任務だった。

 しかし1958年にレスターの監督に着任したギリーズはたとえば右のハーフバックと右のインサイドフォワードに、あるいは左のインサイドフォワードと左のウイングに、頻繁にポジションチェンジをさせ、相手を攪乱した。このサッカーでレスターは3シーズンで2回FAカップ決勝に進出し、リーグでも上位に進出した。

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