■スタンドからの「オク! オク!」の歓声

 「ある日、オットーからボクの家に電話がきたんだよ。『オク、いっしょにやらないか』ってね」(奥寺)

 現在のように、代理人が跋扈する時代ではなかった。ヘルタでは、奥寺は守備的なポジションでプレーしていたのだが、レーハーゲルは彼の忠実と運動量が守備的MF(ボランチ)として自分のチームに必要であると考え、奥寺にそう説いた。その言葉どおり、レーハーゲルは奥寺に全面的な信頼を寄せ、最初は守備的MFとして、後には、新しいシステムとして台頭したばかりの3バックシステムの左ウイングバックとして起用し続けた。1981年から1986年までの5シーズン、奥寺はほぼフル出場し、2部から1部に戻ったばかりのブレーメンがブンデスリーガ2位3回、5位2回という好成績を残す原動力となった。

 ブレーメン市の中央を貫くヴェーザー川に面したヴェーザー・スタジアムは、当時は現在のような近代的なサッカースタジアムにはなっておらず、陸上競技のトラックがつき、観客席を覆う屋根はメインスタンド側にしかなかった。北海からの寒風にさらされるなか、レーハーゲルの攻撃的なサッカーは市民を熱狂させた。そしてファン・サポーターは献身的に、そして誠実に攻守をこなす奥寺を心から愛した。左サイドを疾走する奥寺にボールが渡ると、スタンドからは「オク! オク!」と歓声が上がった。ブンデスリーガ1部通算234試合という試合数は、2017年に長谷部に抜かれるまで日本人最多だった。

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