いまでは多くの日本人選手が海外でプレーする。その姿が日常となって久しいが、私たちは選手がヨーロッパでプレーする意味を正しく理解しているのだろうか。サッカージャーナリスト・大住良之が語りかける。
■当たり前になった「海外組」
30シーズン目のJリーグがスタートした。熱狂のなかに始まりながら、「未来」を不安視する人も多かったJリーグが、その成功を信じた人びとですら、当時の8府県10クラブからわずか30年間で40都道府県58クラブにも拡大するとは予想できなかっただろう。しかしこの30年間で大きく増えたのはクラブ数だけではない。日本を出て欧州を中心としたクラブで活躍する日本人選手の急増は、それ以上に、Jリーグと日本のサッカーの成長を物語るものだ。
一昨年の秋、新型コロナウイルスの世界的な大流行で国際的な移動が大幅に制限されるなか、日本サッカー協会は「欧州組」だけで日本代表を編成し、オランダとオーストリアのスタジアムを借りて4つの国際試合を開催した。さまざまな困難があったが、選手たちが奮闘し、実りの多い活動となった。
「欧州組」だけでも、日本代表はまったく違和感がなかった。すでに何年も前から、日本代表の中心は欧州のクラブで活躍する選手たちになっていたからだ。1993年にJリーグが始まったころ、日本代表チームは全員がJリーグ所属選手だった。1994年の夏から1年間、三浦知良(カズ)が当時世界最高レベルと言われたイタリア・セリエAのジェノアでプレーしたが、負傷もあり、1シーズンでヴェルディ川崎に戻った。日本人選手の本格的な欧州流入が始まるのは、1998年に最初にワールドカップに出場した後だ。