■中田のローマ行きは正解だったか

 1998年ワールドカップ後に中田英寿がイタリアのペルージャに移籍し、セリエAデビューのユベントス戦で2得点を記録してたちまちスターとなった。以後、中田は2006年に29歳で引退するまでイタリアを中心にプレー。ただ彼は、「地方クラブ」のひとつに過ぎなかったペルージャからビッククラブのASローマに移籍した以後は先発から外れることも多くなり、ペルージャ時代のようにチームのスターというわけではなかった。

 プロの世界では、活躍すれば「市場価値」が上がり、より財力をもったビッグクラブから「買い」がはいる。クラブにとって契約下の選手は「戦力」というだけでなく「財産」であり、中小のクラブはビッグクラブから巨額でオファーがあればどんな中心選手でも喜んで手放す。その移籍金がクラブの重要な財源となるからだ。

 しかし一方で、その移籍は、中小のクラブにとっては「巨額」であっても、ビッグクラブにとっては別に大きな「賭け」ではない場合も多い。可能性がある選手を何人も獲得するなかで、何人かにひとりでも中心選手になってくれればいいというような感覚でしかない。ローマにおいて、中田は、「クラブの至宝」とも呼ぶべきフランチェスコ・トッティとポジションが完全にかぶり、当時の中田にとっては不本意なボランチでプレーすることが多く、次第に出番も減っていった。

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