後藤健生の「蹴球放浪記」第96回「洋上で米軍戦闘機に狙い撃ち」の巻(1)民間船舶が揺れたマッハ2の「衝撃波」の画像
ロサンゼルス五輪最終予選、タイ戦の入場券 提供/後藤健生

 サッカーあるところ、蹴球放浪家・後藤健生あり。時には大地のみならず、洋上にも立つ。サッカー日本代表が16年ぶりのオリンピック出場を目指した1984年、蹴球放浪家はシンガポールに赴いた。その決戦の地、いや至る道のりにも、驚きが待っていた。

■40年前に受けた米軍機からの襲撃

 先日、石川県の小松基地を飛び立った航空自衛隊のF15戦闘機が海上に墜落するという事故が起こりました。「飛行教導群」という技量に優れたパイロットたちの部隊だったようで、何が起こったのか原因の究明が待たれます。

 そのニュースで思い出したのですが、僕は40年近く前に米軍の戦闘機から襲撃を受けたことがあるのです。超音速戦闘機の迫力には本当にびっくりしました。

 F15などのいわゆる「第4世代戦闘機」が配備されるようになったのが1980年代の初めでしたから、おそらく僕が体験したのもF15かF16だったのでしょう。

 時は1984年の2月。場所はフィリピン近海の太平洋上でした。新さくら丸というクルーズ船に乗っていました。

 なんで、僕がそんな洋上にいたのかというと、ある財団が主催する「若人の船」というイベントで船に乗っていたのです。

 全国の青年たちを集めたイベントで、僕はその講師の1人として乗船していたのです。僕の大学の先輩(今は参議院議員です)が毎年その船の講師として乗船していたのですが、その年はご家庭の都合で参加できず、「後藤、お前行かないか?」と誘われたのです。

 二つ返事で引き受けました。

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