■テクニシャンがそろった日本代表
予選第4組は日本のほかに香港、中国、北朝鮮など6か国が参加してセントラル方式で行われました。当時の日本代表の最大の目標はワールドカップではなく、オリンピックでした。そこで、川淵三郎監督は1984年のロサンゼルス・オリンピック出場を目指すためにワールドカップ予選には思い切って若い選手を抜擢しました。
中盤は風間八宏(筑波大)、戸塚哲也(読売ク)、金田喜稔(中央大)。木村和司(明治大)は右ウィングで、都並敏史(読売ク)もサイドバックに入っていました。それ以前の日本チームは、アジア勢相手でもテクニック的には劣るというのが前提で、その分、走り勝とうというのがコンセプトでした。ところが、この時の若い選手たちは全員がテクニシャンで、パス回しだけならどの相手より上でした。
また、木村和司のFKは日本国内ではあまり知られていませんでしたが、素晴らしいFKを披露したので、和司がボールをセットしただけで香港の観客から歓声が上がるようになったほどです。
ただし、パスは回っても決定力不足で、日本は予選大会準決勝で北朝鮮相手に延長戦の末に0対1で敗れてしまいました。当時は、ワールドカップ予選といってもテレビ中継もなく、新聞の扱いも小さなものでした。日本にいた人たちは「また負けたか」と思っただけでしょうが、実際には素晴らしい内容の試合でした。日本のサッカー史の中でも特筆すべき大会と言うべきでしょう。