蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーあるところ、どこにでも赴く。だからこそ、まだ国内では情報が圧倒的に少ない1980年代でも、日本代表の好勝負を目にすることができた。その香港の地の先には、未知の世界である中国が待ち受けていた。
■年末年始の香港でW杯予選
初めて中国本土に足を踏み入れてソフトボールの中国女子代表と試合をしてから約1年後。僕は、再び中国探検に向かいました。1981年1月1日のことです。
1980年の12月から翌年の正月にかけて、香港でスペイン・ワールドカップのアジア1次予選があったので、それを観戦に来たのです。
知り合いの香港人が持っている部屋に泊めてもらいました。古い啓徳(カイタク)空港のそばの高層ビルでした。香港は地震がないので(それに土地も足りないので)、古い高層ビルが所狭しと建ち並んでいます。
啓徳空港というのは九龍半島の東側、市街地の真ん中にある空港です。滑走路は海の中に突き出しています。部屋のベランダでビールを飲んでいると、目の前を大型ジェット機が通り過ぎていきます。
この時は12月25日に到着して1月5日まで滞在しましたから、香港で11泊したことになります。