後藤健生の「蹴球放浪記」第94回兼特別編「“塁”球放浪記」「文革直後の中国でパンダにでもなったような気分」の巻(2)地味な人民服も見事に着こなす女子学生のセンスに脱帽の画像
マラドーナが日本にやって来た1979年、中国はまだ「遠い国」だった 提供/後藤健生
■【画像】見張り役も兼ねていた? 1979年の中国の女性ガイド

 蹴球放浪家・後藤健生は、別の顔も持つ。「塁球」放浪家として、中国代表と対戦した経験もあるのだ。日本代表の2022年最初の公式戦、中国とのワールドカップ予選を前に、かの国での勝負に思いをはせる。

■大通りで大人数に囲まれて警察が出動

 試合が始まりましたが、代表クラスの投手のボールを素人が打てるわけはありません。いきなり初回に6点だったか7点だったか失ってしまいました。相手も、すぐに事情を呑み込んで後は適当に遊んでくれたのですが……。

 もっとも、この誤解のおかげでスポーツに詳しい案内人が付いたので、中国のスポーツ事情についていろいろ話を聞くことができて、僕にとってはありがたかったのですが。

 すべてが、今の中国とは違います。

 まず、彼らにとっては外国人というもの自体が珍しい存在なのです。まあ、パンダのような珍獣が街中に現われたようなものでしょう。

 外国人だというのは服装ですぐに分かります。当時の中国人はほぼ全員がいわゆる人民服でした。だから、全員が同じ服装で、色も、それほど種類はありません。

 達華賓館というホテルに到着して夕食をすませてから、2、3人でホテルを出て夜の上海を散歩していると、日本語が分かる中国人が現われたので話をしていました。すると、どんどん人が寄ってきます。ついには、延安西路という大通りに60人くらいの人だかりができてしまいました。質問攻めで身動きもできない状況で「さて、どうしたもんじゃろかのう?」と思っていたら警察がやって来て人だかりは解散させられてしまいました。

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