いまや、日本にサッカーのプロリーグがあるのは当たり前のことである。しかし、その「日常」がない時代もあった。
この「現在」をつくりあげた歴史を振り返ることは、「未来」を築くことにつながる。サッカージャーナリスト・大住良之が、Jリーグが日常になった過程を振り返る。
■Jリーグの奇抜なアイデア
「新しいプロリーグ」として、Jリーグはスタート時にさまざまな奇抜なアイデアを実行した。第1は、2ステージ制とその結果としての「チャンピオンシップ」。第2は、90分間が終わって同点のときにはサドンデス(2年目からJリーグは「Vゴール」と名づけ、後に大会のノックアウトステージでFIFAが「ゴールデンゴール」と名づけて採用した)の延長戦、さらに第3には、延長戦で得点がはいらなかったときのPK戦である。
伝統的なリーグ戦が最も公平に王者を決めるシステムであると信じている私は、この3つとも大反対だった。引き分けは「結果が出なかった」ということではない。「勝ち点1を分け合う」「勝ち点2を失う」「勝ち点1を拾う」など、同じ引き分けでも、状況によってさまざまな意味があり、サッカーの醍醐味にもなっている。それを「悪」のように扱い、引き分けを拒否する姿勢は理解できなかった。
ちなみに、「勝利に2、引き分けに1」という、100年近く続き、伝統的であるだけでなく合理的な勝ち点の制度が、「勝利に3、引き分けに1」という現在の形に変わったのは1994年11月のこと。変えたのは国際サッカー連盟(FIFA)だった。試合をより攻撃的にするために1994年のワールドカップで採用したこの方式を評価してのものだった。