■序盤の3試合で2敗した年代は…

 

【1986年・メキシコ大会】

■予選開催時期:1985年2月~11月

■予選での最終戦績:

・1次予選 3勝1分→2次予選進出

・2次予選 2勝→最終予選進出

・最終予選 2敗→最終予選敗退決定

■監督:森孝慈

■予選時の主力選手:原博実、戸塚哲也、水沼貴史、木村和司、宮内聡、西村昭宏、都並敏史、石神良訓、加藤久、松木安太郎、松井清隆など

■予選参加国数:3カ国(1次予選グループ4B)→4カ国(2次予選)

■スタートから3戦までの戦績:2勝1分(勝ち点7)※1次予選の3試合の戦績

 

 このあたりの年代まで遡ると、現行のワールドカップ予選とはかなり大会方式が異なるので、一概に比較できない部分もあるが、予選がスタートしてからの3戦目までの戦績を引き続きピックアップしてみる。1次予選を3勝1分と順調に滑り出した日本代表はグループ4Bで1位となり、1次予選を通過。2次予選でも香港を相手にホーム・アウェーともに勝利した。しかし、最終予選の韓国戦ではホームとアウェーで連敗し、最終予選敗退が決まった。

 

【1982年・スペイン大会】

■予選開催時期:1980年12月

■予選での最終戦績:

・予備予選 1勝→1次リーグ進出

・1次リーグ 1勝1敗→1次準決勝進出

・1次準決勝で敗戦→敗退決定 

■監督:川淵三郎

■予選時の主力選手:木村和司、長谷川治久、横山正文、風間八宏、戸塚哲也、金田喜稔、田中真二、菅又哲男、須藤茂光、前田秀樹、鈴木康仁など

■予選参加国数:3カ国(グループ4―グループA)

■スタートから3戦までの戦績:2勝1敗(勝ち点7) ※予備予選1試合と1次リーグ2試合をあわせた戦績

 

 予備予選のシンガポール戦に1-0で勝った日本代表は、1次リーグに進出。1次リーグではグループ4のなかのグループAに属し、3カ国のうち2位までが次のステージに駒を進めるという方式だった。1次リーグの中国戦では0-1で敗れたが、続くマカオ戦では3-0で圧勝。結果、1勝1敗の戦績でグループ2位となり、準決勝に進んだ。しかし、準決勝では北朝鮮を相手に敗れ、敗退が決定した。

 

【1978年・アルゼンチン大会】

■予選開催時期:1977年3月~4月

■予選の最終戦績:1分3敗 勝ち点1 1次予選敗退(4試合中最終戦で敗退決定)

■監督:二宮寛

■予選時の主力選手:碓井博行、釜本邦茂、奥寺康彦、藤島信雄、永井良和、西野朗、石井茂巳、清雲栄純、斉藤和夫、落合弘、田口光久

■予選参加国数:4カ国(一次予選グループ2 ※北朝鮮は参加辞退)

■予選スタートから3戦までの戦績:1分2敗(勝ち点1)

 

 実は、初戦からの3戦で2敗を喫したのは、1978年のアルゼンチン大会の1次予選にまで遡る。

 この年代の日本代表は、ロシア大会で指揮を執った西野朗氏をはじめ、現在の日本サッカー界の重鎮たちが主力選手として名を連ねていた。アルゼンチン大会の1次予選、日本代表は初戦のイスラエル戦で0-2の黒星スタート。2戦目も同じくイスラエルと対戦したが、こちらも0-2で敗れた。さらに、3戦目の韓国戦でも勝ち切れずに0-0のスコアレスドローに終わった。最終戦、再び韓国と対戦したが、0-1で敗れた。結局、勝ち点は1のみで、1次予選で敗退となった。

 

 ここまで年代を遡って戦績を見てみたが、ワールドカップの予選においては、一次予選でも最終予選でも、スタートダッシュこそが要であることが分かる。

 前述したとおり、当時と現在では、大会方式やレベルなど様々な要素が異なっているため、単純な比較ができるわけではない。しかし、各年代の戦績と照らし合わせながら考察しても、ワールドカップ予選の序盤から敗戦を重ねている状況は稀であり、日本のサッカーの歴史においても、現在の日本代表が由々しき事態であるのは顕著だ。

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