10月8日に行われたワールドカップアジア最終予選で、日本代表はサウジアラビア代表と対戦。しかし、後半26分にミスから失点し、0-1で敗れた。3戦が終わって、ここまで1勝2敗と負けが先行している。10試合中3試合と、およそ3分の1を消化したが、過去の日本代表のワールドカップ予選において、スタートからつまづいたことはあったのだろうか。様々な年代におけるワールドカップ予選において、初戦から3試合の戦績を調べてみた。
それぞれの年代のワールドカップ予選において、序盤から3試合までの戦績を振り返るが、「ドーハの悲劇」が起こった1994年のアメリカ大会からさらに遡っていく。
【1994年・アメリカ大会】
■予選開催時期:1993年10月
■予選での最終戦績:2勝2分1敗 勝ち点6 最終予選3位で予選敗退(予選7試合中最終戦で敗退決定)
■監督:ハンス・オフト
■主力選手:三浦知良、中山雅史、ラモス瑠偉、長谷川健太、吉田光範、松永成立、森保一、井原正巳、三浦泰年、井原正巳、柱谷哲二、堀池巧など
■予選参加国数:6カ国(最終予選)
■スタートから3戦までの戦績:1勝1分1敗(勝ち点4)
1993年にJリーグが開幕し、その年の10月に最終予選が行われた。当時は、カタールのドーハで集中的に予選が開催されるという方式。現在、日本代表を率いている森保一監督も、この年代の主力選手として名を連ねている。
初戦はサウジアラビアと対戦し、スコアレスドローで発進。2回戦はイランに1-2で敗れたが、3回戦は三浦知良が2ゴールを挙げるなど、北朝鮮を相手に3-0で快勝した。4戦が終了した段階で日本はグループ1位。初の本戦出場決定が間近に迫っていた。
ところが、最終戦のイラク戦、終了間際まで2-1でリードしていたが、土壇場で相手に追いつれ、2-2の引き分けとなった。この結果、2位の韓国と同じ勝ち点で並んだが、得失点差により3位に後退。本大会出場まであと一歩のところまで迫ったが、「ドーハの悲劇」に日本代表は涙をのんだ。
【1990年・イタリア大会】
■予選開催時期:1989年5月~6月
■予選での最終戦績:2勝3分1敗 勝ち点7 1次予選2位で敗退決定(6試合中最終戦で敗退決定)
■監督:横山謙三
■予選時の主力選手:前田治、吉田光範、水沼貴史、長谷川健太、柱谷哲二、佐々木雅尚、梶野智幸、井原正巳、信藤克義、堀池巧、松永成立など
■予選参加国数:4カ国(1次予選グループ6)
■スタートから3戦までの戦績:1勝2分(勝ち点5)
この年代は1次予選で敗退しているため、最終予選の戦績ではないが、初戦は香港を相手に0-0の引き分けで、2回戦のインドネシア戦も日本は無得点で0-0のスコアレスドローだった。3回戦は北朝鮮と対戦し、2-1で勝利。この後も順調に勝ち点を手にしていったが、当時はグループ1位のみが最終予選に駒を進めることができたため、最終戦はアウェーで北朝鮮と1位をかけて戦うことになった。結果、0-2で敗れ、日本代表は1次予選敗退が決定した。