ロナルド・クーマン監督のバルセロナでのセカンドシーズンは続くのか。
クーマン監督に「2年目」があるのか、すぐには明言されなかった。この夏にリオネル・メッシの退団という衝撃に見舞われたクラブは、それ以上の揺れを嫌ってか、オランダ人監督の続投を決めたが、にわかにその身辺は慌ただしくなっている。
チームにはオランダ人選手が増え、新たなチームづくりが進んでいる。過去にも、オランダから来た多くの選手と監督が、栄光をもたらした。
だが、チームの「オランダ化」は、成功に直結するとは限らない。歴史をひも解きながら、バルセロナの未来を占ってみる。
■すべては「創造主」クライフから始まった
バルセロナが拠点を置くカタルーニャという場所は、土地柄か独立心が強い。そのため、外から来る選手に対して風当たりが強い傾向がある。ただ、オランダ人選手とオランダ人監督に関しては、不思議な縁がある。
リヌス・ミケルス、ヨハン・クライフ、ルイ・ファン・ハール、フランク・ライカールト、そして現在のクーマン…。多くのオランダ人監督が、バルセロナで指揮を執ってきた。
なかでも、大きな影響力を持ったのがバルセロナの「創造主」であるクライフだ。選手時代(1973年―1978年)、監督時代(1988年―1996年)、いずれも輝かしい成績を残した。【4-3-3】の基本システム、ポゼッション・フットボール、カンテラ重視というクラブのフィロソフィーを植え付けたのは、他ならぬクライフである。