■出発日にラプラタ河が濃霧に包まれてしまった
楕円形のサッカー専用スタジアムで、西側メインスタンドは「アメリカ」、バックスタンドは「オリンピカ」、北側ゴール裏は「コロンブ」、南側は「アムステルダム」と名づけられました。「コロンブ」は1924年パリ・オリンピック決勝戦が行われたスタジアム名、「アムステルダム」は1928年オリンピックの開催都市です。
3層スタンドが建設される予定でしたが、大雨で工事が遅れたため「オリンピカ」以外は2層式に変更されましたが、それでも工事は開幕に間に合わず、7月14日の開幕戦(フランス対メキシコ)はポシートス公園にあるペニャロールのグラウンドで行われました。
新スタジアムで最初の試合は7月18日のウルグアイ対ペルー戦で、5万7735人がスタンドを埋めました。偶然のことですが、工事が遅れたおかげで試合はちょうど憲法発布100周年記念日と重なりました。そして、スタジアムは「100周年」を意味する「センテナリオ」と名づけられました。その後、南北の両ゴール裏も3層式に改装されましたが、このスタジアムは今でも91年前の姿をよくとどめています。
1978年アルゼンチン・ワールドカップの時、2次リーグは「中2日」の日程だったので、僕は試合のない日に船に乗ってモンテビデオまで往復する計画を立てました。センテナリオを見たいと思ったのです。ところが、出発日にラプラタ河が濃霧に包まれてしまったので、この時はウルグアイ行きを断念しました。
冬のラプラタ河にはよく濃霧が発生します。
1930年7月30日の第1回ワールドカップ決勝は、ウルグアイ対アルゼンチンの顔合わせとなり、アルゼンチン・サポーターが大挙して船でモンテビデオを目指したのですが、濃霧のために船が遅れて試合に間に合わなかったと言われています。