オリンピックが終わったかと思ったら、すぐ9月2日にはワールドカップのアジア最終予選が始まる。2018年ロシア大会以来の興奮だ。サッカーというスポーツは、本当にファンをとことん楽しませるようにできている。そこで、第22回ワールドカップ・カタール大会も近いということで、今回からはシリーズ特集「ワールドカップ決勝スタジアム遍歴」のスタート。われらが蹴球放浪家・後藤健生は無事にすべてのスタジアムを放浪できたのか? その運命や如何に!
■冬のラプラタ河がアルゼンチン応援団の足を止めた
第32回近代オリンピアードを祝って(?)、先週まで「オリンピック特集」をお送りしてきましたが、東京オリンピックも無事に終了したので次の特集「ワールドカップ決勝スタジアム遍歴」を開始したいと思います。
1930年のウルグアイ大会から2018年のロシア大会まで、ワールドカップはこれまで21回開催されていますが、1970年と86年のメキシコ大会の決勝戦は同じアステカ・スタジアムで、また1950年と2014年のブラジル大会の決勝戦はどちらもマラカナンで行われましたから、「決勝スタジアム」は全部で19ということになります。
では、「決勝スタジアム」を順番に放浪することにいたしましょう。まず最初はウルグアイの首都モンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオです。
1929年5月のFIFA総会で「世界選手権」の開催が決まりましたが、開催を引き受ける国が見つからなかったので、FIFAのジュール・リメ会長はウルグアイに話を持ちかけました。第1次世界大戦後、ウルグアイは経済成長を遂げ、モンテビデオは近代都市に生まれ変わっていました。
また、ウルグアイは1924年と28年のオリンピックで連覇を成し遂げていました。当時、オリンピックには英国以外はフル代表が参加しており、事実上の世界一を決める大会でした。
モンテビデオでは7月29日にバトジェ(ウルグアイ訛りなら「バシェ」)公園で新スタジアムの定礎式が行われました。大会開幕まで1年足らずの突貫工事です。