■ポジションを表していた背番号

 プロスポーツで最初に番号制を導入したのは、アメリカのアイスホッケーリーグだったらしい。狭いリンクですばやく選手がポジションを変え、交代もプレー中に行われるスポーツの必要性に迫られてのものだったのだろう。NHLは、1911年に、全チームの選手に番号を描いたアームバンドをつけることを義務付けた。

 世界中のサッカーで背番号が一般化するのは、1920年代から1930年代のことである。そしてその背番号は、当初は選手の個人特定というより、ポジションを明らかにするものだった。1920年代まで、サッカーでは「ピラミッド(2−3−5)システム」が半世紀も「不変のもの」として定着していた。このシステムでは、選手はそれぞれのポジションからあまり離れず、役割も固定されていた。背番号は、そうした時代の末期に世界に広まったのである。

 1 ゴールキーパー(GK)

 2 ライトフルバック(RB)

 3 レフトフルバック(LB)

 4 ライトハーフバック(RH)

 5 センターハーフバック(CH)

 6 レフトハーフバック(LH)

 7 アウトサイドライトフォワード(OR)

 8 インサイドライトフォワード(IR)

 9 センターフォワード(CF)

10 インサイドレフトフォワード(IL)

11 アウトサイドレフトフォワード(OL)

 ハーバート・チャップマンがアーセナルで「WM」を考案すると、イングランドでは5番がディフェンスラインの中心というイメージとなる。その後の戦術的発展で1960年代に4−2−4システムが生まれ、それが4−3−3となり、さらにさまざまに発展しても、5番がディフェンスの中心というイメージは消えなかった。

 日本のサッカーは1936年のベルリン・オリンピックで現地入りしてから「WM」を採り入れ、このシステムが一挙に広まった。当然、背番号もイングランドのWMに即したものが付けられるようになり、3バックの中央に位置する選手は「センターハーフ」と呼ばれ、背番号5をつけるのが通例となった。

 ただ、日本に背番号が導入されたころには、多少の混乱もあったようだ。1960年代初頭まで日本代表の監督を務めた後、1960年代終わりから1970年代前半にかけて日立製作所を率い、徹底的に走るチームをつくって日本サッカーリーグを席巻した故・高橋英辰(ひでとき)さんは、1930年代に愛知県の刈谷中学(旧制)にいたころに奇妙な体験をしたと話してくれた。

 中学のチームで背番号をつけ始めたとき、左ウイングからつけたというのだ。すなわち、左ウイングが1番で、他のFWは左から2、3、4、5。ハーフバックも、左から6、7、8である。そして2人のフルバックが9と10、GKが11という形である。しかし間もなく、名古屋のサッカー協会からの通達で、GKは1番……と、英国の例にならったものをつけるようになったという。小柄なテクニシャンだった高橋さんは左インサイドの選手だったから最初は2番をつけたが、ある日突然10番になった。

※第3回につづく
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