大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第70回「『勝利への脱出』はサッカー映画の最高峰」(3)「今やめると、心が一生傷を負う」の説得力の画像
「ワーナー・ホーム・ビデオ」が販売しているDVD版『勝利への脱出』。「主演」のシルベスター・スタローン(左)、マイケル・ケイン(右)の中央にペレが描かれている。この映画は、DVDカバーにもあるとおり『勝利への脱出 ESCAPE TO VICTORY』ということになっているが、実際の映画内のタイトルには『VICTORY』としか出てこない。とても不思議だ。3人のポーズはその「V]を示している。
サッカーを知れば知るほど楽しさの深みが増す、サッカー映画の最高峰『勝利への脱出』を知っていますか? 1981年の世界サッカー界のオールスターが本気でプレーし、渋く演技を決めている。いまとなっては見ることのできないレジェンドたちの共演なのである。あのペレの、ボビー・ムーアの、美しく勇敢なプレーを堪能でき(アルディレスは20代とまだ若い)、役者っぷりまで楽しめる。もちろん、プレーの場面に手抜きはなし。オールドファンの涙腺はゆるみ、若きマニア心はメラメラと燃え上がる――。
※第2回はこちらから

■古き良き名スタジアムの雰囲気をそのままに

ポーランドの英雄で1972年オリンピック優勝時の得点王、1974年ワールドカップ3位では攻撃の組み立て役となったMFカジミエシュ・デイナは、東欧の強制労働施設から選ばれてきた5人の捕虜のひとり、「パウル・ボルチェク」役だった。他の4人(いずれも役者)がガリガリに痩せているのに、デイナひとりがぷっくりとしているのが少し笑える。デイナは長身のプレーメーカーだったが、引退して1年とはいえ、その間まったくプレーをしていなかったのか、試合のシーンではあまり活躍していない。彼もまた、1989年に交通事故により41歳の若さでこの世を去っている。

 この試合が行われたのはパリの「コロンブ・スタジアム」という設定になっている。パリの市内に続く北西の郊外、蛇行するセーヌ川にはさまれた「コロンブ」地区に1907年に建設され、1920年に大改修されて1924年のパリ・オリンピックの主会場となり、1938年にはワールドカップの決勝も開催された名スタジアムである。1972年にパリ市内に「パルクデプランス」が完成して「フランス代表のホーム」の座を失ったが、安全上の理由で改修が相次いだため、この映画の撮影時には戦争中の雰囲気はもうなかった。

 そこで選ばれたのが、ハンガリー、ブダペストにあった1947年建設の「MTKスタジアム」である。古い陸上競技場形式、メインスタンドだけにかかる屋根、大半が立ち見席の観客席など、古い「コロンブ」に雰囲気が似ていることから白羽の矢が立った。当然、試合のシーンの数万人の観客も、ハンガリー国内で募集したエキストラである。そう考えると、映画の終盤にスタンドのファン全員がフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンは不思議な気がする。このスタジアムは、東京の旧国立競技場と同じ2014年に完全解体され、現在はサッカー専用スタジアムに生まれ変わっている。

 ちなみに、両競技場とも現在は名称も変わっており、「コロンブ」はラグビーの名選手の名前をとって「イブ・デュマノワ・オリンピック・スタジアム」と呼ばれ、「MTK」は1950年代に間違いなく世界最強だったハンガリー代表「マジック・マジャール」のセンターフォワードだった名手の名前をとり、「ナンドル・ヒデクティ・スタジアム」となっている。

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