■古き良き名スタジアムの雰囲気をそのままに
ポーランドの英雄で1972年オリンピック優勝時の得点王、1974年ワールドカップ3位では攻撃の組み立て役となったMFカジミエシュ・デイナは、東欧の強制労働施設から選ばれてきた5人の捕虜のひとり、「パウル・ボルチェク」役だった。他の4人(いずれも役者)がガリガリに痩せているのに、デイナひとりがぷっくりとしているのが少し笑える。デイナは長身のプレーメーカーだったが、引退して1年とはいえ、その間まったくプレーをしていなかったのか、試合のシーンではあまり活躍していない。彼もまた、1989年に交通事故により41歳の若さでこの世を去っている。
この試合が行われたのはパリの「コロンブ・スタジアム」という設定になっている。パリの市内に続く北西の郊外、蛇行するセーヌ川にはさまれた「コロンブ」地区に1907年に建設され、1920年に大改修されて1924年のパリ・オリンピックの主会場となり、1938年にはワールドカップの決勝も開催された名スタジアムである。1972年にパリ市内に「パルクデプランス」が完成して「フランス代表のホーム」の座を失ったが、安全上の理由で改修が相次いだため、この映画の撮影時には戦争中の雰囲気はもうなかった。
そこで選ばれたのが、ハンガリー、ブダペストにあった1947年建設の「MTKスタジアム」である。古い陸上競技場形式、メインスタンドだけにかかる屋根、大半が立ち見席の観客席など、古い「コロンブ」に雰囲気が似ていることから白羽の矢が立った。当然、試合のシーンの数万人の観客も、ハンガリー国内で募集したエキストラである。そう考えると、映画の終盤にスタンドのファン全員がフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンは不思議な気がする。このスタジアムは、東京の旧国立競技場と同じ2014年に完全解体され、現在はサッカー専用スタジアムに生まれ変わっている。
ちなみに、両競技場とも現在は名称も変わっており、「コロンブ」はラグビーの名選手の名前をとって「イブ・デュマノワ・オリンピック・スタジアム」と呼ばれ、「MTK」は1950年代に間違いなく世界最強だったハンガリー代表「マジック・マジャール」のセンターフォワードだった名手の名前をとり、「ナンドル・ヒデクティ・スタジアム」となっている。