後藤健生の「蹴球放浪記」連載第68回「五輪サッカー」2000年の記憶の巻(1)初戦の南アフリカ戦は逆転勝利の画像
シドニーオリンピック決勝のチケット。前売りで買ったチケットはデザインが違う。エムボマやエトオのいたカメルーンがシャビのスペインを破って優勝 提供/後藤健生
アトランタ五輪準々決勝のチケットなど旅の思い出

 いよいよ東京五輪が開幕。男子サッカーは7月22日の初戦、南アフリカ戦で久保建英の鮮やかなゴールで勝利した。
 遡ること20年、2000年のシドニー五輪でアデレードで急遽組織された蹴球放浪隊。今回の任務は、ブリスベンからアデレードまで一昼夜をかけての1500キロのドライブだ。メンバーは2人。ドライバーのM氏とナビにベテラン放浪者が1名だ。人口希薄なオーストラリア大陸のドライブは、行けども行けども次の街には着かず、すれ違うのはカンガルーばかりの過酷な道中となったのだった。


オリンピックの思い出」シリーズ。今回は2000年のシドニー・オリンピックです。

 この時のUー23日本代表は自国開催を目指すA代表を率いるフィリップ・トルシエ監督が兼任で監督を務めていました。トルシエ監督はA代表自体も若い選手を中心にチーム作りを進めていましたし、前年の1999年には同じくトルシエ監督の下で日本はワールドユース選手権(現U—20ワールドカップ)で準優勝を飾っていて、その時の主力選手だった稲本潤一や中田浩二、遠藤保仁、高原直泰らもUー23代表に合流していました。

 ですから、「代表」という大きなグループの中から中田英寿や中村俊輔など若手のメンバーを集めれば、すぐにUー23代表が出来上がるわけです。またオーバーエイジとの融合もスムースでした(オーバーエイジはGKの楢崎正剛、DFの森岡隆三、MFの三浦淳宏)。

 さて、日本は初戦の南アフリカ戦では先制を許したものの高原直泰の2ゴールで逆転勝ち。続くスロバキアにも勝ってグループ最終戦でブラジルと対戦しました。ブラジルは南アフリカに敗れており、日本はブラジル戦で引き分ければ首位通過だったのですが、0対1で敗れてブラジルと勝点、得失点差で並び、総得点差で2位になってしまいました。

 サッカー競技はシドニーだけでなく広大なオーストラリア大陸各地のスタジアムで行われ、南アフリカ戦とスロバキア戦は首都キャンベラのブルース・スタジアムが舞台でした。キャンベラはオーストラリアを代表するシドニー(ニューサウルウェールズ州)とメルボルン(ビクトリア州)の中間に作られた人工的な都市です。リオデジャネイロとサンパウロの対立を避けてブラジリアが建設されたのと同じですね。

 そして、最終ブラジル戦の会場はクイーンズランド州のブリスベンでした。

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