ピッチの中もベンチも観客席も、みんな表情がこれまでと違って見える。掲示板に目をやれば、時計の針はすでに「45分」で止まっている。アディショナルタイムに突入だ。特別な時間の始まりだ。数々の事件が起きてきた——。「ドーハの悲劇」の時計の謎、ワールドカップ予選で謀議をもちかけられた国際レフェリーの告白、Jリーグでの「18分50秒」のアディショナルタイム——。さあ、ドラマの幕開けだ。
■アディショナルタイムが短すぎた「ドーハの悲劇」
ワールドカップ予選のアディショナルタイムというと、よく引き合いに出されるのが、1993年秋、「ドーハの悲劇」のイラク戦である。2−1でリードした日本。このまま勝ちきれば初めてのワールドカップ出場が決まる。しかし時計が後半45分を回るころ、イラクに右CKが与えられた。
急ぐイラク。本来、右CKは左サイドバックの選手が左足でけるのだが、急いでいたので近くにいたMFが右コーナーに走り、ボールをセットする。そしてすぐにサポートに寄ってきた右サイドバックの選手につなぐ。ボールを受けた右サイドバックは当たりにきたカズ(三浦知良)をかわすと、すぐにクロス。そのボールにイラクのMFオムラムが合わせる。ジャンプした頭にかろうじて当たったボール。強いヘディングはできなかった。しかしボールは不思議な孤を描いて日本ゴールの左隅に落ちていった。
ゴールが決まったのは45分18秒だった。この試合の後半はコカコーラの空き缶投げ入れによる1分間の空費に始まり、中山雅史の2点目の直後には、イラクの抗議と倒れたままのイラク選手の搬出で1分以上、そして後半だけで3回の交代が行われていたこと、後半37分には日本のGK松永成立が遅延行為でイエローカードを出されていたことを考えれば、少なく見積もっても3分間ほどのアディショナルタイム(当然のことながら、当時は誰もが「ロスタイム」と呼んでいた)があるはずだった。だが試合は日本がようやく気を取り直し、武田修宏がキックオフしてから10数秒後、試合は後半46分7秒で終了した。当時は、あまり不思議には思わなかった。
そのころは第4審判がボードを手にアディショナルタイムを掲示することなどなかった。すべては主審の「胸先三寸」だった。4年後の1997年秋、ワールドカップ・フランス大会のアジア最終予選で、日本はそのあいまいさに苦しめられることになる。