■遠藤のプレーが表わす「遊び」の概念
さて、これまで遠藤のプレーについて「タメ」とか「間」といった言葉を使っていたが、これは、どちらも時間を表す概念ということができる。遠藤や家長やイニエスタがボールを持ってプレーを瞬間的に止める。そこで生まれたほんの少しの時間を使って、味方がより良いポジションを取って、より有利な状況を作って攻撃を再開する。そんな考え方だ。
そうしたプレーを別の言葉で表現すれば「遊び」ということもできるかもしれない。
遠藤が味方と簡単なパス交換をしながら戦況を変えるのが「遊び」なのだ。「タメ」や「間」と違うのは、「遊び」という言葉には時間的な概念だけでなく、さらに広い意味も含まれていることだ。
「遊び」という言葉を『広辞苑』で引いてみると、いくつもの意味が表示されている。遠藤のプレーを表すとすれば、そのうち⑦の「気持のゆとり、余裕」が当てはまりそうだ。例文として「名人の芸には―がある」とある。つまり、「ヤットのパスには遊びがある」というように使えるわけである。
もう一つちなみに言えば、「フットボールをする」の「する」は英語なら「プレイ(play)」である。『広辞苑』による「遊び」の語義の①は「あそぶこと。なぐさみ。遊戯」であり、②は「猟や音楽のなぐさみ」とあるから、そもそもフットボール自体が遊びであることは言うまでもない。
『広辞苑』による語義の⑧には、「機械の部分と部分とが密着せず、その間にある程度動きうる余裕のあること」とある。
つまり、素材が膨張した時に歪みが生じたり、不規則な振動が機械全体に伝わらないようにするために、接合部に意図的に作られた隙間のことを指す言葉だ。
こうした意味での「遊び」の用例を、サッカーのピッチ上に当てはめれば、つまり予めデザインされた戦術的な動きにズレが生じた際に、一瞬テンポを変えてプレーを止めることによって選手の位置取りなどに調整を加えたり、別の攻撃のパターンに切り替えたりすることを意味するのではなかろうか。