大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第59回「笛吹けど踊らず?」(2) 初の女性J主審・山下良美さん「笛の吹き方で気持ちを伝えようと考えている」の画像
私が女子チームの練習時に使っていたホイッスル。左がモルテンのメタルホイッスル。この形は、英国の「ハドソン商会」がつくった初期のホイッスルの流れを引いている。中にはいったコルクの球はポルトガル製の「天然コルクA級品」だという。値段は1000円程度だった。もうひとつ黒いホイッスルはカナダ製の「FOX40」。中に「球」のない「ビートホイッスル」で、大きな音が出る。こちらは少し高く、2000円近くしたと記憶している。2つつけていたのは、目的に応じて使い分けることではなく、気分によって使い分けていたためである。(c)Y.Osumi

※第1回はこちらから

レフェリー御用達のホイッスルは、そもそも英国で警官たちのために開発された。それまで警官たちはラットルで騒音を鳴らして人々の注意を喚起していた。なんと! みなさん、ご存じでしたか? ラットルとは往年のサポーター必携の騒音発生装置。ちなみに、1970年代後半にラットルズというビートルズのパロディ・バンドが大いに世界の話題となったことがあったが、バンド名は「騒音たち」ということになる。そんなこんなで、今回は、レフェリーが使う小さな道具の物語。

■いい声で鳴く野田鶴声社のホイッスル

 ともかく、こうしてホイッスルはサッカーの主審に不可欠な道具となった。ことし5月16日のJ3、YSCC横浜対テゲバジャーロ宮崎戦(横浜・ニッパツ三ツ沢球技場)で史上初めて女性でJリーグ主審を務めた山下良美さんが「笛の吹き方で気持ちを伝えようと考えている」と話しているように、強く短く吹いたり、あるいはゆったりと吹いたり、レフェリーたちは「ホイッスル語」の研鑽に励んでいるのである。

 さて、2002年のワールドカップのときには、日本製のホイッスルが話題になった。東京の葛飾区亀有にあった「下町の中小企業」、「野田鶴声社」という会社がつくるホイッスルが、「アディダス」ブランドとしてではあるが、大会の公式ホイッスルとなったのだ。野田鶴声社は元々はハーモニカ製作の会社だったが、2代目社長の野田員弘さんが第二次世界大戦後にホイッスルの製作を始め、やがて中に入れるコルクボールを真球に近づけたものにすることで世界的な評価を得るようになる。

 ハドソンが使った「エンドウ豆」は、ほどなくコルクに変わっていた。しかし野田鶴声社では、これを限りなく真球に近づける技術を開発、広く伝わる美しい高音を出せるようになったのだ。コルク球の代わりに海外のホイッスルで使用されていたプラスチック球(真球に近いものをつくることがたやすい)を入れたホイッスルもあったが、大きな音は出るものの一本調子で、選手たちに嫌われた。その点、コルク球は音に強弱をつけることができ、選手たちにも好まれた。フランスでは国家警察やパリ市警などから注文を受け、野田鶴声社は年に80万個ものホイッスルを生産したこともあった。

 野田鶴声社のホイッスルは、1978年にアルゼンチンで開催されたワールドカップで「アクメ・サンダラー」の牙城を崩してワールドカップで使用されるようになる。当時、レフェリーたちはワールドカップでも自分自身のホイッスルを持参して主審をしていたが、この大会で世界の審判員たちにその性能が知れ渡り、すぐにブンデスリーガの推奨ホイッスルになった。そして1982年ワールドカップ大会では多くのレフェリーが使用するようになった。以後「主審の最高級ホイッスル」と言えば野田鶴声社製のものとなり、当然のように2002年ワールドカップでも使用されたのである。

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