■その後も続く移動中の航空事故
クラブチームだけではない。代表チームも悲劇に襲われる。1993年4月27日、セネガルとのワールドカップ予選を戦うために約6000キロ離れたダカールに向かうザンビア代表を乗せたザンビア空軍のチャーター機が、ガボンのリーブルビルで給油して離陸した後にエンジンの故障で大西洋(ギニア湾)に墜落、ザンビア代表18人を含む乗客乗員全30人が死亡した。
そして2016年11月26日には、コロンビアのメデジンで行われるコパ・スダメリカーナに出場するブラジルのクラブ「シャペコエンセ」の選手たちを乗せてボリビアのサンタクルス・デラシエラからメデジンに向かっていたチャーター機、ボリビアのラミア航空機が、メデジンを前に墜落、シャペコエンセの選手19人を含む71人が死亡した。
シャペコエンセの犠牲者には、Jリーグの舞台に立った選手や監督が5人も含まれており、日本のファンにも大きなショックをもたらした。2009年にヴィッセル神戸を率いたカイオ・ジュニオール監督、2012年から2014年までセレッソ大阪とジェフ千葉でプレーしたケンペス、2005年に柏でプレーしたクレーベル、2010年に京都サンガでプレーしたチエゴ、そして2015年に川崎フロンターレでプレーしたアルトゥール・マイアである。
1949年以来、約70年間で6回もあったサッカー・チームの壊滅的な事故。その最初が、チームが初めて飛行機で動いてから22年後に起こった「グランデ・トリノ」の遭難だった。しかもその遭難を産んだリスボン(ポルトガル)への遠征が、「美談」と言っていいひとりの選手の友情と、そして実行力によって生まれたことを知れば、人の運命の不思議さを思わずにはいられない。