大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第57回(1)「5月の憂鬱」スペルガの悲劇、或いは、最高の選手の友情についての画像
1949年5月4日、「グランデ・トリノ」の選手18人を乗せた航空機が激突したトリノ東方の「スペルガ」の丘の山頂に立つ大聖堂。機は大きな写真の左にある建物の裏手の基部の石垣に激突した。修道僧のひとりは、直前に飛行機のエンジン音を聞いており、大音響を聞いて大聖堂のシンボルであるドームに激突したのではないかと思ったという。激突地点には、犠牲者を偲ぶ石碑が建てられている。 提供/大住良之

イタリアを訪れたことのあるサッカー愛好家なら、「スペルガの悲劇」のことや、グランデ・トリノの伝説はご存じかもしれない。イタリアではサッカーファンであれば少年少女にまで語り継がれている。国境をまたいで行われるサッカーに襲いかかる悲劇、そのひとつが航空事故だ。かつてJリーグでプレーした複数の選手が乗った飛行機が墜落して命が奪われたこともあった。その航空機での最初の大きな事故がセリエAで4連覇中だったACトリノを襲ったのは、5月のちょうど今頃の時期だった——。

■5月4日はグランデ・トリノの悲劇の日

 ゴールデンウイークは日本で最も美しい季節だ。少し前まで寒さに震えていたのがうそのように、気温が上がり、しかし湿度が低いために爽やかで、木々には緑が輝き、さまざまな花が競うように咲く——。澄み切った青空を泳ぐ鯉のぼりは、たとえ新型コロナウイルスの緊急事態宣言という非常事態下にあっても、心を明るくする。

 だが私は、この季節を迎えるたびに少し憂鬱になる。しばしば起こるわけではない。しかし20世紀の半ばからおよそ10数年にいちど繰り返されてきたサッカー・チームの飛行機事故が、ゴールデンウイークを迎えるたびに頭をよぎるからだ。繰り返されるサッカーチームの悲劇の最初が、1949年5月4日にイタリアのトリノで起こったのだ。

「グランデ・トリノ(偉大なトリノ)」と呼ばれたチームがあった。1942/43シーズンから戦争による2年間の中断をはさんで48/49シーズンまで、イタリアのセリエAで実に「5連覇」を達成したチームである。47/48シーズンは、40試合で29勝7分け4敗。2位のACミランに勝ち点16もの差をつけ、シーズンの総得点125、得失点差+92という破天荒な強さだった。当然、当時のトリノはイタリア代表の中心であり、ある試合ではイタリア代表の先発11人のうち10人がトリノの選手ということさえあった。

 その「グランデ・トリノ」の牽引車が、バレンチノ・マッツォーラとエツィオ・ロイクという2トップだった。なかでもキャプテンのマッツォーラは、背番号10をつけ、トリノでの7シーズンで195試合に出場し、118ゴールを記録した。ちなみに、彼の長男が、1970年ワールドカップでイタリアを準優勝に導いたサンドロ・マッツォーラである。

 だがサンドロの父バレンチノは、「イタリア・サッカーの歴代最高選手」と評価する人も多いなかで、ワールドカップの舞台でその才能を世界に示すことはなかった。17人もの「グランデ・トリノ」の選手たちとともに、1949年5月4日の航空機事故で帰らぬ人となったからだ。

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