■世界中の大空をサッカーチームが飛び交っている

 サッカーと航空交通の密接な関係が始まるのは第二次世界大戦後のことである。シーズン中の週末の大半がそれぞれの国の国内リーグで使われる状況のなか、1955年に「欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)」という画期的な大会を始めることができたのは、国際的な往復を繰り返しながら「ミッドウイークの夜間試合」を可能にした航空交通の発達だった。狭い地域に国が密集する欧州といっても、陸上交通だけではミッドウイークに国際試合をこなすことはできない。

 やがて、世界中で、毎週、何千、何万というチームが飛行機で飛び回りながら試合をこなす時代となる。プロスポーツとしてのサッカーの発展は、航空交通に支えられたものだった。サッカーは最強の武器を得た。だが同時に、一瞬で数多くのチームを壊滅的な状況に陥れる恐ろしい事故という大きなリスクも負うことになる。

 1949年5月4日の「グランデ・トリノ」の遭難から9年後の1958年2月6日には、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドの選手たちを乗せたチャーター機が西ドイツのミュンヘンで離陸に失敗、選手8人を含む23人の生命が奪われた。

 1961年4月3日には、チリのクラブCDグリーンクロスの選手8人を乗せたランチリ航空便がアンデス山中で消息を絶ち、乗客・乗員全24人が死亡した。1987年12月8日には、ペルーのチャンピオンとなったばかりのアリアンサ・リマ・クラブのアウェーゲームの帰途、ペルー海軍が手配したチャーター便が海に墜落、選手16人を含む43人が亡くなった。

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