■グアルディオラの苦い記憶
一方で、「私はドルトムントと話をした。(ゼネラルディレクターのミヒャエル・)ツォルクはこの夏にハーランドを売りたくないと言っていた。その意見を尊重する。だが、それは私が同意しているという意味ではない」とミーノ・ライオラ代理人は先日ドイツ『SPORT1』に話していた。
ミーノ・ライオラという曲者の代理人。得点力のある大型ストライカー。これらはグアルディオラ監督にとって苦い記憶を喚起させるものである。
2009-10シーズン開幕前、バルセロニスタ(バルセロナファン)は歓喜に酔っていた。08-09シーズンにバルセロナはグアルディオラ監督の下で3冠を達成。新たなシーズンに向け、連覇と戴冠を目指して機運が高まっていた。
大型移籍が成立したのは、そんな折であった。2009年夏にズラタン・イブラヒモビッチがバルセロナに加入する。移籍金4600万ユーロ(約50億円)+サミュエル・エトーというオファーでインテルとの交渉がまとまった。
■イブラヒモビッチの起用法
だがグアルディオラ監督はイブラヒモビッチを使いこなせなかった。
「監督としては最高、人間としては最低」とのちにイブラヒモビッチがこき下ろしたように、2人の関係は良好ではなかった。リオネル・メッシをファルソ・ヌエベ(偽背番号9/ゼロトップ)に置くシステムが機能するなかで、グアルディオラ監督は如何にしてイブラヒモビッチを嵌めるかという答えを最後まで見つけられなかった。
「バルセロナでの自分の問題は一人の哲学者にあった。メッシを起用するために僕を犠牲にした。そして、それを僕に直接言わなかった。グアルディオラの哲学的な言葉は聞くに堪えなかった」とイブラヒモビッチは当時を回想している。
そう、グアルディオラ監督は決してストライカーの扱いが得意な監督ではない。バルセロナでは、イブラヒモビッチに限らず、エトーの放出を決断している。バイエルン・ミュンヘンでは、就任してすぐにマリオ・ゴメスがフィオレンティーナに移籍していった。また、マリオ・マンジュキッチの起用法にも頭を悩ませた。